こんにちは、カトです。
2024年2月6日Women in Agile Japan 開催のWomen in Agile Tokyo 2024にオンサイト参加してきました。
www.wiajapan.org
弥生では女性リーダーの育成を掲げ、リーダーの割合に目標値を設定しています。
確かに女性リーダーの割合が少ない部署があったり、社内役員に女性がいなかったりといった現状はあります。
note.yayoi-kk.co.jp
1年ほど前、2023年4月に公開された弥生公式note記事です。サムネイル画像に写っているのは男性。
弥生に限ったことではなく、どこの組織やチームにおいても、リーダーや役員をやりたい人が、女性という理由だけでその役割ができない、やりにくいのであれば変えなければいけません。
しかし、本当にそうなのでしょうか?性別問わず希望する仕事に就けることは重要だろうとは思います。
一方で、チームメンバーの構成、就業者、リーダーの人数、あらゆる男女比を1:1にしようとすることは、他の歪を生むことになるのではないだろうか?と考えていました。
そんな中「Women in Agile Japan」の開催を知りました。
アジャイルを推進するのにMenもWomenも関係ないだろうと思いながらも、せっかくの機会だから参加してみることにしました。
Keynote
概要
タイトル:
個が輝く社会に向けて〜スポーツ界での挑戦〜
登壇者:
伊藤雅充さん 日本体育大学体育学部教授、博士(学術)、コーチングエクセレンスセンター長
登壇者の伊藤さんを紹介される際、司会である主催者が「登壇をお願いした理由」として以下をお話しされていました。
- スクラムという用語自体もスポーツのスクラムから来ていて、アジャイルとスポーツとには親和性の高さがある
- 開発の現場にある身体性や人間の関係性について別の視点から学べることがある
スポーツに関わっている方が、アジャイルのイベントでどういうお話しを展開していくのか、わくわくしました。
女性らしさ?
今までこの弥生開発者ブログで私の性別を明示したことはありません。今回は記事の特性上、性別を明記しておきます。私は女性として生まれました。
「首都圏ではない地方出身だから」「女の子だから」という理由で、習い事や進学に関して制限があったり強制があったりという経験はほとんどしていません。
私の意識や努力は関係なく、本当に環境に恵まれたことです。 この環境で育ったことで、私は、自分は性別に対してフラットな考え方をしていると思っていました。
今回のKeynoteを聞いて、幼少期の出来事を思い出しました。
- 同い年の幼馴染だけでお菓子を買いに行く場面で「男の子は女の子をしっかり守って、いってらっしゃい。」と大人に見送られたこと
- ルールがあいまいなヒーローごっこを横目に見ながらひとりで黙々とパズルをやっていたら、男の子の親御さんが「女の子は静かでいいね」と発言した場面に遭遇したこと
男の子は女の子を守る存在で、女の子はおとなしくしているべき存在なのだと、幼いころから少しずつ刷り込まれ続けていました。
私が最初に就職活動をした学生の時にも自分が女性であることを意識する機会がありました。
- 「女性としてがんばってほしい」と期待の言葉をかけられたこと
- 面接で「IT企業は男性が多いけれど、女性として男性の中で働くことはどのように思いますか?」と質問があったこと
働くのに男女は関係ないし、組織にどのような貢献の仕方をすることが女性としてがんばることになるのだろうか?と疑問に思っていました。
その後、プログラマからテスターにキャリアチェンジする際にも女性というワードが出てきました。
- 異動前の所属の上司から「テスターは、女性には向いている職種だと思う」と納得のいかない背中の押され方をしたこと
- 異動先のテスト部門の上司が「女性だけで構成するチームをつくってみたい、あなたを歓迎している」と言っていたこと
キャリアチェンジではなく、男性社会からのドロップアウトのように扱われたような気がしました。
不満のように書き連ねてしまっていますが、私は私と接して育ててくれた周りの大人や上司を責めるつもりはまったくありません。
Keynoteを聞いたことで、女性だからと制限や強制を受けることなくやりたいことを自由にやってきたと思っていた私にも「女性」というくくりの中で窮屈な思いをしたり過度な期待をされたことがあって、それに気づかないままだったり、違和感に蓋をしたりして過ごしてきたことを感じました。
男女平等を意識していた私の親世代は、男女平等に関する教育を受ける機会が少ない中で、それでも手探りで男女平等を考えてくれていたのでしょう。
それが女性就業率の推移として、確かに結果が出ています。
www.gender.go.jp
男女平等の教育を受け始めた私は、この考え方や推移をさらに前に進めなければいけない、それが女性リーダーの割合という目標になっているのだと理解しました。
「女性の活躍はリーダーになることだけなの?」という疑問はあります。
それでも一歩動いて新しいチャレンジをしていくことが必要なのだ、具体的に何をするのかは個々でも組織でも考えて実践していかなければいけないと強く感じました。
OST
オンサイトのOST (オープン・スペース・テクノロジー)に初めて参加しました。
Womenに関連するテーマを挙げるのかと思っていましたが、限定することなくテーマが挙がっていきます。
お昼ご飯を一緒に食べていた初対面の人たちからも後押しをしていただき、私もテーマを挙げました。
はじめて見たイーゼルパッドにもテンションが上がります。初心者にもやさしいOSTで安心感がありました。サポートしてくださったみなさま、ありがとうございます。
私がWomenに関するテーマで参加したのは、「女性の☓☓の集まりは抵抗ある。と女性に言われた。その心は?」です。
女性の集まりに抵抗がある?
あります。大いにあります。しかし、その理由をきちんと言語化したことがありませんでした。
しっかり考えてみたいと思ったのと、同じように抵抗がある人の意見を聞いてみたかったので、参加をしました。
ただ、参加したもののその場でうまく抵抗感を言葉にできなかったので、改めてまとめることにしました。
私は、Womenというくくりをつくって女性が集まることはマイノリティーである現状を嘆くだけに思えていて、そこから発展する話題になることが想像できていませんでした。
「うまくいかない現状について、同じ境遇の人が集まってブルースでも歌う気なのか?」と思っていたような気がします。
※私はブルースが好きです。ブルースは歌で表現するしかない状況でうまれた魂の叫びだと思っています。
音楽におけるブルースは1つのジャンルとして確立されました。
Womenについては、歌ったり叫んだり嘆いたりするのではなく、技術書を開いて学習をすること、実践の場でチャレンジして改善すること、チームで対話をして必要とされていることに着実に対応していくことでしか解決しないのではないかと思っていました。
今回、Women in Agile Tokyo 2024に参加して、「Women」に対して偏見や特別視をしていた自分に気がつくことができました。
全体を通して
WomenをターゲットにしたAgileの集まりに懐疑的だった私ですが、非常に充実したのしい1日を過ごしました。
Womenという会なのだから、おそらくほとんどが女性を自認する人があつまっているのだろうと考えていました。
実際には、参加者の比率は男女比は半々程度とのことでした。
イベントの終盤に「Womenとイベントタイトルをつけて、Womenをターゲットにして呼びかけてようやく女性が半分なのか」と感じたのですが、主催者から「Women in Agile Japan の実行委員としては男性の参加を呼び掛けてきました。ジェンダーギャップを生み出しているマイクロアグレッションなどの問題を考えるときに、男性や現行のマネジメント層の理解が重要になるからです。」というコメントをいただきました。
ソフトウェアテストシンポジウムJaSSTでは地域名ごとの開催の他に、「Review」という名称でレビューに焦点を当てた会があります。
これと同じような位置づけで、「Women」があるのだろうと考え始めました。
若手をターゲットにした「アンダー30」があってもいいだろうし、第二のキャリアを考える「オーバー60」があってもいいでしょう。それと同じで「Women」が自然に存在し、みんなで在り方を考えていければよいのだと感じています。
私は今まで「女性の割合」を見かけると「私が女性としてカウントされていいの?」と敬遠し、「だれかの数値目標が達成できるならまぁいいか」と深く考えていなかったということに気がつきました。
Women in Agile Tokyo 2024参加をきっかけに、今まで避けていた「Women」について、多様性について、しっかり向き合って考えていきます。
弥生では一緒に働く仲間を募集しています。
ぜひエントリーお待ちしております。
herp.careers